百術不如一誠

社長ブログ

百術不如一誠

原点

作業場がめちゃめちゃになって
なんともいえない気持ちになった。
ものごころついた時からその場所はあった。
最初は小さな作業場だったようだ。
いつのまにか鉄骨になり、そして、どんどん増築で床面積も増えた。
見ためは古くて、お世辞にもいい作業場だとはいえない。
だけど、
沢山の思い出が詰まっている場所だ。
中学になって部活を決めた場所だ。
高校の時、文系に進む決心をした場所だ。
大工になろうと決めたのもこの場所だ。
そして、玄翁を持つのを辞めたのもこの場所だ。
なぜか、そこに行って自分と向き合った。
なぜだろう。
そこに行くと、お爺さんが墨を付け、
親父が梁を鋸で切り、叔父さんが鑿を研ぐ
そんな風景がすぐに思い浮かぶ。
色んな職人が来て、真面目な話や、笑い声が響く
小学校までの自分は、この場所が遊び場であり、
唯一、多くの大人と接することの出来る場所だった。
中学になってからは、部活や仲間と遊ぶことで、
この場所に来ることも少なくなったが、
それでも、夜遅くまで作業している親父や叔父さん
を、「夕飯だよ」と声をかけに行ったりした。
なかなか作業をやめてくれないので、電気を消したら
こっぴどく怒られた記憶もある。
高校に行ってからは、何か無い限りこの場所に近づかなかった。
むしろ、避けていたのかもしれない。
朝起きて朝食の時には職人さんがいた。
学校から戻るとテレビの前には職人さんはいた。
朝から大声で弄られ、
夜は酒を飲んでいる職人さんに弄られ
どんどん職人が嫌いになっていった。
両親と話す機会もなく、悩みを今日こそ話そうと思って
帰宅すると、いつものようにペンキ屋さんやら、板金屋さん
電気屋さんが酒を飲みながら、ワイワイがやがややっていた。
私は何も言わず、そのまま部屋に行って
泣きながら物にあたり散らかした記憶がある。
勿論、今思えば素直になれない自分がいたことも
承知しているが、当時の自分はそれどころではなかった。
文系に進もうと決めたのも間違いなくこれらが起因している。
この場所で、絶対親父の後は継がない、大工なんて絶対なるものか!
と、独りで叫んだものだ。
東京での私は、遊びっぱなしだった。
学校よりバイトを優先していた。
学校では寝ていたが、バイトは一生懸命だった。(笑)
笑えないか・・・
当時はバブルの終わりだったけど、毎月60万は稼いでいた。
バイトの種類は数多くこなしたけど、
長く続いたのはこの三つ、うどん屋と、カラオケ屋と宅急便(黒い猫)
馬鹿な私は就職活動もしなかった。
うどん屋の店長の誘いがあったからだ。
学校は、なんとか卒業できた。
4月から、うどん屋に勤めることを報告に実家に帰ることにした。
当然、両親は家業を継ぎに帰ってきたと思ったに違いない。
しかし、私は帰るまで家業を継ぐなんて全く考えてなかった。
「いつから仕事始めんだ」とまわりから言われた。
なかなか、うどん屋のことが話せずにいたら、
ばぁちゃんが、私に言った。
「いいだ~よ。和義、おめ~のすぎなことやれば、いいだよ。」
私は、「うん。」と頷いたまま、実家の前の海に行った。
海を眺めながら、考えた。
情けないことに、好きなこと、やりたいことが無かった。
一通りバイトして、自分でこんなもんかと決め付けていた。
今、思うと恥ずかしくなる。
 
なめていた。社会を、それぞれの仕事を・・
それでも私は、さっさと伝えることを伝えて東京に
帰ろうとした。
海からの帰りには必ず作業場の横を通る。
せっかく実家に来たのだから、
久しぶりに作業場の中でも見ようかと思い。
シャッターを開ける。
海に近いせいか、必ずさび付いた音も混ざる
「カラガラ・カラガラ。からがら・カラガラ」
聞きなれた音だった。
もうすぐ4月なので、外の風は少し温かいが、
作業場の中は少しヒヤっとした。
そのせいかどうかはわからないが、
私は身震いした。
次の瞬間、とっても懐かしい匂いが飛び込んできた。
木の香りだ。
自分自身に何が起こったかわからない。
ただ、涙がとまらなかった。
製材機やホゾ取機、超仕上げの工作機械の場所は
昔のまま、
万能機の廻りには木の削りかす、
昔と何一つ変わらない作業場があった。
涙だけじゃなく鼻水も止まらない。
震えもとまらない。
当時の自分は意味もわからず泣いている自分を
とうとう俺、変になっちゃったかなくらいにしか
考えられなかったけど、
今思うと、あの場所が私の原点であることは間違いじゃない。
あの場所で育ったといっても過言じゃない。
そしてあの場所で修行した。
たった10年。
誰よりも早く覚えたくて、お爺さんや親父、そして叔父さんと
ぶつかり喧嘩した。
他の大工より技や知識を持ちたいと思った。
他人のところで修行していないことを言う輩もいたが、
それがコンプレックスになり余計に踏ん張れた。
おかげで、墨付け、刻み、造作も
他の大工さんより早く覚えたと自負している。
それからさらに10年が経ち、最近は工務店経営の方に
目が向き、弊社の社員は作業場に行くことはあっても
私はなかなか行くことがなかった。
ばちがあたったのか・・
作業場の鉄骨の柱はおれ、壁は流され、ガラスは割れ
材木はメチャクチャ、工作機械は全滅。
大工道具も流された。
流されたり、浸水だけじゃなく、
作業場一面に 
誰かが浜に不法投棄した硫酸ピッチがこびりついた。
さらに、硫酸ピッチが水と反応し亜硫酸ガスが発生させ、
凄い匂いを漂わせた。
悲しくなった。
泣けた。
解体することにした。
最初はそれに、だれも反対しなかった。
親父が「壊すのやめて、直さないか」と言った。
私は、無理だろうと思ったが、 
ここを、こうやってああやってと説明する親父の姿を見て
私も決心した。
直す。
私の原点でもあるこの作業場を解体しないで直そうと。
昨日から、コツコツはじめた。
まず、骨組みから徐々に・・・徐々に。