私の実家と作業場は震災で津波の被害にあった。
みんなが片づけを手伝ってくれる。
心配して「手伝うよ」と、本当に多くの人、多くの団体から言ってもらった。
すべて断らせていただいたが、
直接来て大丈夫だと言っているのに、何も語らず片づけを手伝ってくれた。
毎日毎日、次から次へと多くの方が手伝ってくれた。
皆さんの行動には、涙がでるくらい嬉しくて仕方なかった。
本当に感謝している。ありがたい。
人と人の絆を感じました。
そして、スポーツ選手や芸能人・企業家などなど
多くの有名な人の方々や子供たちまでも、
募金活動・チャリティ、そしてボランティア活動をしている。
素晴らしいことだとおもう。
多額の資産を寄付したり、お小遣いを募金したり、
何よりも仕事大丈夫かと感じさせるくらい倒壊した住宅や瓦礫を手弁当で片付ける。
人の温かさを感じました。
しかし、彼らの行動をよくいわない人がいる。
少し悲しくなる。
私は、有名人がする行動に対して卑下するような発言は出来ない。
たとえそれが、かっこつけだろうと、売名行為だろうと偽善だろうと。
なぜなら、
彼らが行動した結果は必ず震災の被災者と震災に関連して苦しんでいる人に、
大なり小なり届くと私は信じられるからだ。
震災での被害も、風評被害も、またその結果うまれる不幸な出来事も、
彼らの行動が廻り回って必ず、「人」の「為」になると信じられる精神状態です、今は。
行動する人が偽善となるならば、行動しない人は何だろう。
偽善を恐れて何もしない人は、勇気のない愚か者とでも言うのだろうか?
行動する人は、自分のできる範囲でなにか力になろうとする。
行動する人たちは人間的な魅力があるとおもう。
人に向けて行動することを臆して何もしないでいる輩たちに限って
目立つ行動をするものを嘲笑したり、行動する人を非難する。
私は、聞きたくない。
勿論、善・悪が主観的であることは百も承知しているが、悲しくなることです。
雑感です。
百術不如一誠
社長ブログ