百術不如一誠

社長ブログ

百術不如一誠

ALL開発ヒストリー ⑧

パッシブビルディングデザインは

1970年代におきた、第一次オイルショックが始まりで、

オイルショックによるエネルギー不足により、

当時のアメリカのエネルギー省がお金をだし、

エネルギー保護の研究が進められることになる。

これにより、多くのビルダーが断熱を増やし、

効率の良い空調設備を使い、エネルギー保護をうたった

さらに、連続断熱、連続気密、太陽熱を最大に利用したデザインに発展する。

これが現在のパッシブハウスの始まりかな。

興味深いことに、

1970年代にアメリカやカナダで始まったパッシブハウス運動は

1980年代のレーガン大統領時代に一旦止まってしまう。

しかし、ヨーロッパではその活動は続き、

1991年にドイツでパッシブハウス協会が設立される。そして、

ダルムシュタットにローエネルギーハウスをデザインして建設される。

この住宅が、最初のパッシブハウスであるとされている。

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パッシブハウス協会の当初の目標には、ローエネルギービルディングには、

一般的な家よりも75%ものエネルギー削減が経済的にできると

ドイツ政府に納得させることだった。

このときパッシブにエネルギー量減らすだけでなく、

温水器・照明などのアクティブエネルギー量も減らすことも提唱した。

屋根・壁・床・窓などからなる、パッシブハウスアセンブリーは

暖房負荷を90%パッシブな方法で減らすことができるが、

温水器や家電・照明には大きな影響を与えない。

こういったアクティブエネルギー量を減らさなければ、

建物全体のエネルギー量を減らすことができなかった。

そして、

ヨーロッパでのこういったパッシブハウス運動知った、

アメリカのパッシブハウスのパイオニアのアーモリー・ラビンズが

ドイツのパッシブハウス協会を訪れ、パッシブハウスの基準を作ることを説得した。

これに賛同したヴォルフガング・ファイスト博士(パッシブハウスの父?)と

ヴォー・アダムソンがアメリカ・カナダでの70年代のスーパー断熱ハウスなどを一部ベースにして

パッシブハウス基準を設定した。この基準はもう、有名です。15kwh/㎡

以下が中央ヨーロッパのパッシブハウス基準

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詳しくは説明しませんが・・・。笑・・。

 

そして、そして、アメリカでも。。1990年の後半から・・

また、パッシブハウス運動が少しづつ始まってくる。

そして、2000年代に入ってからは、パッシブハウスが建てられてくるんですが・・

ここから、面白くなる。

 

つづく