ハヤシ工務店 広報の登山担当 加瀬です。
先日、成田の方に寄る用事があって、せっかくだしと“フラッと”成田山へ足を運んできました。
本当に気まぐれで、何か目的があったわけでもないんですよね。ただ、あの参道の雰囲気と、境内の雰囲気が好きで、つい立ち寄りたくなってしまうんです。休日の昼間だったこともあって、観光客でごった返しているほどでもなく、ほどよく落ち着いていて、歩いているだけで気持ちが整うような感じがしました。
で、入口付近にある大きな構造物——あの迫力ある建築。
改めてじっくり見てみると、やっぱり“どうやって作ったんだろう?”と素朴な疑問が浮かびました。木材が複雑に組み合わさり、装飾の彫刻も繊細で、まるで木なのに生き物のような存在感。もしこれを「はい、作ってください」と言われても、正直まったく想像がつかない。いや、もう無理ですよね。
それでふと、「じゃあ、これを作る技術っていつからあるんだろう?」と思い始めまして。
まあ、歴史書や資料を読み漁れば時代や技法は分かるんでしょうけど、何百年も前から同じ技が受け継がれてきたのは間違いないわけでして。そう考えると、目の前にある建物が突然すごいものに見えたりします。いや、すごいんですけどね、もともと。
伝統技術は、便利さとは別の価値を持つ
最近は建築業界も技術革新がすごくて、気密性能だ断熱性能だ、耐震工法だと新しい技術がどんどん出てきています。私も仕事柄、最新の工法や素材の話には触れることが多いので、それらの価値もよく分かっているつもりです。
ただ一方で、あのような建物を見ていると、技術って「新しい=正義」ではないんだよな、と改めて思わされます。
宮大工の技術なんてまさにそうで、機械もなければCADもない時代に、あれだけの複雑な加工を手でやっていたわけですよね。今なら機械で精密に切り出せるところを、昔はすべて「経験と勘と手」でやっていたという事実。これって最新技術とはまた別の意味で“最先端”だと思うんですよ。
それから、伝統技術というのは、ただ建物を作るだけではなくて、地域の文化や空気感まで含めて受け継いでいくものだということも思いました。成田山に立っていると、建物そのものの美しさだけではなく、周囲の景色や香り、参拝に来た人たちの足音まで、ぜんぶ建物と一緒に調和しているような不思議な感覚があるんですよね。
技術者が減っていく現実
ただ、ここから一気に現実的な話になりますが、こういった技術を支える“人”が今どんどん減っているという厳しい現状があります。宮大工はもちろん、木を読む職人、手刻みのできる大工、伝統技法の継承者、はたまた建築に関わる様々な職人……どの職種を見ても若い人は非常に少ない。
これは建築業界全体に共通していて、現場はどこも人手不足。
高性能の家をつくるにも、人がいなければ何も始まりませんし、伝統技術を残すにも“教わる人”が必要です。最新技術がどれだけ進んでも、それを実際に形にするのは結局は職人さんですからね。
それを考えると、成田山の巨大な建築物が“当たり前に存在している”現状って、実は奇跡的なことなのかもしれません。未来では、もしかしたら簡単には修繕すらできなくなる可能性もある。そんな事を考えると、ちょっと背筋が伸びました。
技術が受け継がれていく未来であってほしい
参道の帰り道、「この建物の技術って100年後も残っているんだろうか?」なんて、少ししんみりしながら考えてしまいました。
とはいえ、悲観してばかりでもしょうがないわけで、むしろ「どうすれば残せるか」を考えたほうが前向きなんでしょうね。
最近は若い大工さんで、あえて手刻みに挑戦したり、宮大工の道を選んだりする方も少数ながらいますし、動画で技術を記録したり、文化財修復の見学会が開催されていたりと、継承のための動きもちらほら増えてきています。
もちろん、技術の進化とともに新しい建築の在り方が出てくるのも良いことですが、だからといって昔の技術が役目を終えたわけではありません。むしろ、最新技術にはない“味わい”や“深み”を持った建物は、これからの時代だからこそ必要になる気がするんですよね。
成田山の境内を後にしながら、静かにそんなことを願っていました。
せめて、自分の仕事の中でも、技術の価値をきちんと伝えていけるようにしたい——そんなふうに思った一日でした。
今回ちょっと真面目すぎな内容ですかね?(笑)
