「加瀬くん がなにか言ってます。」

スタッフブログ

「加瀬くん がなにか言ってます。」

「スペーシングが大事」と言われています。

ハヤシ工務店 広報の種担当 加瀬です。

夏の楽しみといえば、やっぱりスイカ。この夏、畑で収穫したスイカを庭先でかなりの数を割って食べました。ちゃんと甘かったり、全然味がなかったり、逆に熟れすぎてたりと色々でしたが、これぞ夏の醍醐味だと毎年のように思います。

スイカを食べる時についやりたくなる「種飛ばし」。子どもの頃から、なんとなくやってしまうあの行為。この夏も庭先で種をぷいっと飛ばして遊んでいたのですが、ある日驚きました。飛ばしたあたり一帯が、見事にスイカの芽だらけになっていたのです。

去年もブログでこんな風に発芽したスイカを特集してましたね笑

もちろん、そのまま大玉スイカを収穫できるほど手をかけるつもりはないので、育てる気もなく放置しています。ですが、まるで小さな森のように所狭しと芽吹く様子を見ていると、「生き物の勢いってすごいな」と感心すると同時に、「スペースの広さ」について考えさせられてしまいました。

所狭しと生えるスイカと、広さの感覚

スイカの芽は、一つひとつは小さいのに、まとまると意外に場所を取ります。葉が重なり合い、ツルが伸びれば、すぐに庭の通り道も侵食してしまう。

その光景を眺めながら、ふと「住まいも同じかもしれないな」と思いました。暮らしている人数が少なくても、物や活動が重なれば、すぐにスペースは埋まってしまうのです。小さな芽が集まって大きな面積を覆ってしまうスイカのように、日々の暮らしもまた広さと密接につながっているのだと妙に納得しました。

一昔前の「広い家」と集いの空間

思い返すと、一昔前の住宅には「広さ」が当たり前にありました。特に印象的なのは「客間」。親戚や近所の人が集まる習慣があったからこそ、八畳や十畳の和室があり、さらに二間続きにして大人数をもてなせるような間取りが多かったのです。

子どもの頃、お盆や正月に親戚が集まり、座布団が並び、ちゃぶ台や座卓が並ぶ風景を思い出します。あれは単なる部屋の広さというより、暮らし方そのものが「人と集う」ことを前提にしていたから成立していたのだと思います。

広い部屋に親戚や友人が集い、にぎやかに過ごす。住まいの広さは、単に人数ではなく「文化」や「習慣」によって決まっていたのだなと感じます。

近年のコンパクト住宅の広がり

一方で、近年の住まいは随分とコンパクトになりました。核家族化が進み、親戚が頻繁に集まることも少なくなった。さらに土地の価格や建築コストの上昇もあり、限られた坪数で暮らす工夫が求められる時代になっています。

20坪台の敷地に3LDKを工夫して建てている方がいます。驚くほどコンパクトなのに、暮らす人数に合わせた設計で、不便は感じていないそうです。リビングを広めにとって家族が集まりやすいようにしたり、逆に個室を最小限にして収納を充実させたり。限られた広さの中で「どう優先順位をつけるか」が重要になっているのだと実感します。

つまり、広さが足りないから不便というより、「暮らす人数や習慣にちょうどいいサイズ感」をどう見つけるか。それが現代の住まいづくりにおける課題なのかもしれません。

住まいの広さと「余白」の大切さ

ただし、どんなに人数や暮らし方に合わせた設計であっても、住まいにはある程度の「余白」が必要だと思います。

それは単に収納や通路といった機能的な余裕ではなく、気持ちにゆとりを与えてくれる空間。

例えば、広い窓際に椅子を置けるスペースや、畳コーナーのようにごろりと横になれる余白があると、暮らしが豊かに感じられます。先日、友人が「少し狭くてもいいから畳のあるリビングにしたい」と話していましたが、その気持ちはとても理解できます。畳に寝転んだり、子どもが遊んだりできる、そんな余白が心を整えてくれるのです。

スイカの芽が所狭しと重なり合うと息苦しさを覚えるように、住まいの中も余白がなければ息苦しくなってしまう。広すぎなくてもいいけれど、心地よい「空き」があることが大切なのだと思います。

これからの住まいに求められる広さ

スイカの芽を見ていて思ったのは、「広さは絶対的な数字では測れない」ということでした。

4人家族だから◯坪必要、という単純な話ではなく、家族の暮らし方や生活習慣によって必要な広さは大きく変わります。

最近ではリモートワークの普及で、書斎やワークスペースを求める人が増えました。逆に来客用の広い客間はほとんど必要とされなくなりました。時代の変化とともに、必要な広さの「質」そのものが変わってきているのです。

だからこそ、これからの住まいづくりでは「数字の広さ」より「体感の広さ」をどう確保するかが大切だと思います。天井の高さや窓の抜け感、家具の配置で感じる広さは大きく変わる。数字上はコンパクトでも、伸び伸びと暮らせる工夫はいくらでもあるのです。

庭先で芽吹いた無数のスイカの苗。放っておけばどんどん広がり、ちょっとした森のようになってしまいます。その姿は、暮らしの中で必要な「広さ」について考えるきっかけになりました。

かつては親戚や近所が集まることを前提とした広い客間があった住宅も、いまはコンパクトに。暮らす人数や習慣に合わせて広さを調整する時代になっています。しかし、それでもやはり「余白」は必要。息苦しくならず、心地よく過ごせる空間が暮らしを豊かにするのです。

スイカの種から生まれた小さな芽が、広さの大切さを思い出させてくれました。暮らしに必要な広さとは、ただの数字ではなく、そこでどんな時間を過ごすかによって決まるのだと思います。