ハヤシ工務店 広報の植木担当 加瀬です。
毎年この時期になると、
親戚の植木屋さんから「ちょっと手伝わない?」と声がかかります。
桜だったり、ライラックだったり、
その年によって扱うものは違うのですが、
基本的には落葉樹の抜き苗を鉢に植え付ける作業です。
先日も、そのお手伝いに行ってきました。
普段は完全にデスクワークなので、
こういう作業は正直なところ、
手にも腰にもそれなりに堪えます。
土を触って、しゃがんで、立って、またしゃがんで。
これをひたすら繰り返す。
「これは効くな…」と、
翌日の筋肉痛をうっすら予感しながら作業していました。
でも不思議なもので、
こういう身体を動かす時間って、
気分転換としてはすごく良いんですよね。
鉢に植えたけど、、、
作業の流れとしては、
抜き取った苗を鉢に植え付けていくのですが、
その鉢、実はそのまま畑に植えられるんです。
最初は少し不思議でした。
「え、鉢に入れたのに、また土に植えるの?」と。
どうやら、鉢で根の形を整えたり、
管理しやすくしたりする意味があるそうです。
そしてそのまま畑で管理され、
1年、あるいは数年かけて育てられていく。
最終的には、
しっかりとした商品として出荷されるそうです。
こうして考えると、
一本の木が市場に出るまでにも、
かなりの手間と時間がかかっているんだなと感じます。
えっちらほっちら、考えごと
そんな作業を、えっちらほっちら続けながら、
ふと頭に浮かんだことがありました。
「これ、住宅に使う木材も同じだよな」と。
建築の仕事をしていると、
木材というのは当たり前のように存在しています。
柱や梁といった躯体から、
床材や壁材といった仕上げまで、
実にさまざまな場面で使われています。
でも、その木材も当然ながら、
もともとはこうした“苗木”の段階があったわけです。
誰かが植えて、
時間をかけて育てて、
ようやく材料として使える状態になる。
当たり前のことなんですが、
実際に苗を植えていると、
その当たり前が妙にリアルに感じられました。
木材は一朝一夕で手に入らない
木材というのは、
決して一朝一夕で手に入るものではありません。
種類にもよりますが、
建築に使える大きさになるまでには、
何十年という時間が必要になります。
つまり、
今私たちが使っている木材は、
何十年も前に誰かが植えたもの、ということになります。
そう考えると、
少し不思議な気持ちになります。
今目の前で建てられている建物に使われる木材が、
自分が生まれる前から育っていたかもしれない。
時間のスケールが、
ぐっと広がる感覚です。
植える人がいて、使う人がいる
木材の循環を考えると、
そこにはいくつもの役割があります。
植える人。
育てる人。
伐る人。
加工する人。
そして、使う人。
どれかひとつ欠けても、
成り立たない仕組みです。
今回のように苗を植える作業も、
その長い流れの一部なんだなと思うと、
少しだけ見え方が変わってきます。
ただの手伝い、ではなくて、
未来の材料づくりに関わっているような、
そんな気持ちにもなりました。
植林という取り組み
こうした流れの中で、
重要になってくるのが「植林」です。
使った分だけ、また植える。
そして、次の世代へと繋いでいく。
言葉にするとシンプルですが、
実際にはとても根気のいる取り組みです。
時間がかかるからこそ、
短期的な視点だけでは成り立たない。
長い目で見て、
少しずつ続けていく必要があります。
実感する持続可能とは
「持続可能」という言葉をよく耳にします。
住宅の世界でも、
環境に配慮した素材や工法が注目されています。
その中で、木材というのは、
適切に管理されていれば、
再生可能な資源として非常に優秀な材料です。
ただしそれは、
きちんと植えて、育てて、使うというサイクルがあってこそ。
今回の体験を通して、
その前提の大切さを改めて感じました。
デスクの上では見えないこと
普段の仕事は、どうしても数字やデータが中心になります。
もちろんそれも大事なのですが、
実際に土に触れて、木に触れてみると、
また違った視点が見えてきます。
デスクの上では分からなかったこと。
想像で補っていた部分。
そういうものが、
少しだけ現実味を帯びてくる。
たまにはこういう時間も必要だなと、
しみじみ思いました。
手や腰の痛みと引き換えに
正直なところ、
作業後はしっかりと手も腰も痛くなりました。
「ああ、やっぱり普段使ってない筋肉なんだな」と、
妙に納得しながら帰宅しました。
でもその分、
得られた気づきも多かった気がします。
こういう“体を使った実感”って、
案外バカにできないものですね。
未来の材料を植えるということ
今回植えた苗が、
いつかどこかで大きく育ち、
もしかしたら住宅の一部になるかもしれない。
まぁ今回植えた苗は鑑賞用の品種ばかりなので
そんなことはないのですが
そう考えると、
なんだか少しロマンがあります。
今やっていることが、
何十年後の暮らしに繋がるかもしれない。
そんなスケールの話は、
普段の生活ではなかなか意識しませんが、
確実にどこかで繋がっています。
お手伝いから見えたもの
毎年なんとなく続けていたお手伝いですが、
今年は少し違った見え方をしました。
木を植えるという行為。
それがやがて材料となり、
誰かの暮らしを支える。
当たり前のようでいて、
実はとても大きな流れの一部です。
来年もまた声がかかると思いますが、
そのときはまた、
少し違った気持ちで土に向き合えそうです。……とはいえ、
できれば筋肉痛は軽めでお願いしたいところですが。
