先日、車の定期点検でホンダのディーラーに行ってきました。
オイル交換と点検だけのつもりだったのですが、待ち時間が少しあったので、せっかくだし気になっていたZR-Vの試乗でもしてみようかと。
事前にカタログを見て、「このサイズ感、実用性がちょうど良さそうだな」と思っていたんです。
しかも車体のベースには、シビックのエッセンスが入っており、各所の評価でも走りの良さは疑いようのないもの。強いて言いうなら、ビジュアルに好みが分かれるくらいでしょうか?私は癖のあるもの好きので、無問題。
ところが、いざ行ってみると――そこにあったのは、新型プレリュード。
試乗車として置いてあるのを見た瞬間、「これは乗るしかない」と思ってしまいました。
スタッフさんに「ZRVが気になっていたんですけど……」と伝え、試乗させてもらい。
ちゃっかりその流れで、プレリュードも試乗しました。
走ることの楽しさを思い出す
乗ってみると、やっぱり違いました。
ハンドルを握った瞬間のあの感覚。足回りの質感やアクセルの反応、体に伝わってくる路面の情報――それが、久しく忘れていた“運転する楽しさ”を思い出させてくれる。(なんていうほどの運転歴ではないんですが)
普段は、どちらかというと「実用性重視」の車に乗っています。荷物が積みやすくて、燃費もまあまあ良くて、日常の足としては文句なし。
けれど、このプレリュードは、合理性とはちょっと違う次元にあるように思えました。
「ああ、車って本来、こういうものだったな」と。
ただ移動するための道具ではなくて、自分の感覚を少しだけ高めてくれるような存在。
ステータスとか、性能とか、そういうスペック的な話ではなくて、“気持ちが動くかどうか”というところに価値がある。
まさに、車に心を動かされました。
変わらない価値というもの
プレリュードという名前を聞いて、昔のモデルを思い出す人も多いと思います。
あの時代、スポーツカーというのは単なる「速い車」ではなく、若者たちの憧れであり、暮らしの象徴でもありました。
そして、新型のプレリュードに乗ってみて感じたのは、当時の人たちが夢中になった理由と、今の自分が惹かれた理由が、意外と似ているのではないかなということ。
「変わらない価値」というのは、時代が変わっても、人の心を動かす“芯の部分”にあるのかもしれません。
見た目や仕組みは変わっても、根っこのところは同じ。
それは、車に限らず、住まいにも通じるところがあるように思いました。
住まいにもある、変わらない価値
家づくりもまた、時代とともに進化しています。
断熱性能や耐震性、省エネ技術――いまの住宅は本当に高性能。
スマートホームなんて言葉もすっかり定着して、スマホひとつで照明も空調も操作できる。
それでも、どれだけ技術が進化しても、「帰りたくなる家」という価値は変わらない。
暖かみのある木の質感だったり、心地よい風が抜ける窓の配置だったり、人が落ち着ける空間というのは、昔から変わらず求められているものだと思います。
効率や機能も大切ですが、それだけでは語れない“居心地”という価値。
それが、プレリュードの「走りの楽しさ」と重なって感じられたんです。
便利さの中に埋もれていくもの
最近は、何でも「便利であること」が価値の中心にあります。
家電も車も、どんどん自動化され、操作はシンプルに、結果はスマートに。
もちろん、それは素晴らしいことなんですが、ときどき思うんです。
“便利すぎて、感じる余地がなくなってるんじゃないか”って。
プレリュードに乗ったときに感じた「手応え」や「音」、「感覚」。
そういうものが、便利さの中ではだんだん薄れていく。
でも、人ってやっぱり、少しの手間や、ちょっとした工夫の中に“暮らす実感”を見出している気がします。
住まいも同じで、自動化ばかりに頼らず、自分の手で触れて感じる素材や、季節を取り込む仕掛けを持っていた方が、長く愛着が続くのかもしれません。
本質を見失わないこと
帰り道、久しぶりにエンジン音の余韻を引きずりながら運転していました。
点検ついでにちょっと試乗、のつもりが、すっかり心を持っていかれましたね。
「変わらない価値」というのは、懐かしさではなく、“本質を大切にしているもの”のことなんだと思います。
プレリュードのように、進化しながらも、人の感覚に訴えかける要素をちゃんと残しているもの。
そんなものづくりを、家づくりにも重ねていけたらいいなと感じました。
便利さの中にも、心が動く瞬間を。
そんな暮らしを設計できると、きっと毎日が少しだけ豊かになる気がします。
p..s
プレリュードとZR‐Vの走りに感動しましたが、しっかりと整備してもらった今の愛車も、
悪くない走りをしてくれました。整備士さんいつもありがとうございます!
