毎年9月に行われています「TOSO家づくりEXPO」。
今年もハヤシ工務店が出展します!今回は「スライムづくり」をご用意しました!
体験は予約制となっておりますので、下記URLのイベントページよりご予約くださ~い!
【予約受付中】スライムづくりワークショップ@ 9/7 東総家づくりEXPO vol.11 | ハヤシ工務店
さて、珍しく宣伝なんてしたところで
ハヤシ工務店 広報のスライム担当 加瀬です。
スライムづくりのワークショップを計画しているなかで、子どもたちが楽しめるようにと、材料をそろえに出かけたのですが、思わぬところで立ち止まることになりました。
必要な材料の一つが「洗濯のり」。いざ探してみると、なかなか売っていないのです。巡り巡ってドラッグストアをのぞき、ようやっと見つけましたが、必要本数の在庫もなく、同じ系列店をしごして買い占めてきました。あらためて「今の暮らしではもうあまり使われなくなったのだな」と気づかされました。
暮らしの中から、少しずつ姿を消していくもの。気づけばなくなっていて、でもそれは時代と共に当然のことでもあります。洗濯のりを探すひとときは、そんな変化を感じさせる出来事でした。
消えていく日用品のこと
考えてみれば、洗濯のりだけでなく、暮らしの中で「当たり前」にあったものがいつの間にか消えている例は多いものです。
たとえば、アイロン台。最近は「アイロンがけ」そのものをほとんどしない家庭も増えました。形状記憶のシャツやシワになりにくい素材の普及で、アイロンの出番が減り、それに伴ってアイロン台も隅に追いやられていきます。
また、黒電話もそうです。受話器を持ち上げてダイヤルを回すあの感覚を、今の子どもたちは知らないでしょう。正直私も知らないです。固定電話そのものも、もはや家庭に置かない人が多くなっています。
消えていくものには少しの寂しさもありますが、それは同時に新しい便利さが広がった証でもあるのだと思います。
建築の中で消えていったもの
住まいの世界でも「なくなるもの」は数え切れません。たとえば、縁側。かつての日本の家には当たり前のようにあった縁側も、暮らしの仕方や断熱性能の考え方の変化によって姿を消しました。縁側は外と内をつなぐ空間として魅力的でしたが、現代ではリビングを広くとったり、大きな窓を設けたりすることでその役割が代替されているのです。
土間もそうですね。農作業や仕事道具を広げる場所として活躍した土間も、今では見かける機会が少なくなりました。けれど、最近は土間を現代風にアレンジした「土間玄関」や「インナーテラス」として復活してきている例もあります。完全に消えるのではなく、形を変えて受け継がれていくこともあるのです。
「なくなること」は悪いこと?
洗濯のりが手に入りにくいと知ったとき、正直少し不便に感じました。でも、それは「暮らしの中で不要になってきた」という証であり、悪いことではありません。
時代が移れば、素材や技術も進歩します。建築でいえば、昔は当たり前だった木製の雨戸が、今ではシャッターやサッシに取って代わられました。耐久性や利便性を考えれば当然の変化です。
一方で、消えていくものを「完全に忘れないこと」も大事だと思います。洗濯のりがスライムづくりという形で再び脚光を浴びる?ように、なくなったものが新しい意味を持ってよみがえることもあるからです。
建築に残る「懐かしさ」
なくなるものがある一方で、懐かしさを残しながら受け継がれる要素もあります。たとえば格子戸や障子。現代住宅では少なくなりましたが、和モダンの家やリノベーションでは「日本らしさ」として再評価されています。
完全に姿を消すわけではなく、時代に合わせて使われ方を変える。そうした流れは、生活用品だけでなく建築の世界にも共通しているのでしょう。
なくなるものと暮らしの記憶
スライムづくりの材料探しから、思わぬ「なくなるもの」について考えるきっかけをもらいました。洗濯のりが家庭から姿を消していったように、暮らしや建築の中でも、いつの間にか見かけなくなるものがたくさんあります。
しかし、それは単に失われていくのではなく、時代の流れの中で役割を終え、新しい形に姿を変えていくということなのかもしれません。
なくなるものに少し寂しさを覚えつつも、その背景には人々の暮らしの工夫や進歩があるのだと思うと、むしろ前向きな気持ちになれます。次回の投稿の話題ですが、阿武隈洞で感じた「自然の時間」とは違いますが、こちらもまた「暮らしの時間」の中で刻まれる小さな変化の記録なのだと、あらためて感じました。