ハヤシ工務店 広報のタイル担当 加瀬です。
先日、社員旅行がありました。目的は大阪万博でしたか、旅行の1コンテンツにタイルを巡るツアーがあり、「タイル」をテーマにしたアートを鑑賞してきました。
建築の仕事に関わっていると、タイルって“仕上げ材”としてのイメージが強いんですよね。
壁や床をきれいに見せるための存在。
でも、その日はちょっと違いました。
「糸車の幻想」という作品を見た瞬間、思わず息をのみました。
大小さまざまなタイルがぐるぐると渦を巻くように配置されていている。
遠くから見ると、一枚の絵みたいに調和している。
無機質な素材なのに、不思議と温かみがある。
硬くて冷たいはずのタイルが、集まるとやけに人間らしい。
その“ギャップ”がなんだか愛おしく感じたんです。
素材って、こういう表情を見せることがあるから面白いんですよね。
タイルは“面”の記憶
帰ってからふと、自分の家の中を見回してみたんです。
キッチンの壁、洗面のバックパネル、玄関の床。
どこもかしこも、ちゃんとタイルに囲まれてました。
普段は気にも留めないけれど、よく見てみるとタイルって光を反射して部屋を広く見せたり、
マットなものだと落ち着いた空気をつくってくれたり。
たった数ミリの目地のリズムが、空間の印象を変えてしまうんだから、あなどれないなあと。
それに、タイルって“時間”が残るんですよね。
水の跡とか、角の欠けとか。
普通なら「汚れ」や「傷」と思うところなんでしょうけど、
暮らしの中でできた痕跡って、ある意味その家の記録でもある。
毎日手を洗って、コーヒーをこぼして、掃除して。
そういう積み重ねが小さな模様になって、
“ああ、ここに暮らしてきたんだな”っていう実感を与えてくれるんです。
暮らしを彩る“モザイク”の発想
「糸車の幻想」を見ていて思ったのは、
暮らしってモザイクみたいだなあ、ということ。
玄関で靴を脱ぐ瞬間とか、
朝の光が洗面のタイルに反射する瞬間とか。
そんな一瞬一瞬が集まって、ひとつの暮らしを形づくっているんだと思うんです。
タイルの配置を一枚間違えただけで、全体の印象が変わるように、
生活も小さな習慣や工夫で居心地が変わる。
たとえば、洗面のタイルを少し高めまで貼っておくと掃除が楽になるとか、
玄関のタイルを一段上げておくと雨の日に助かるとか。
そういう“ちょっとした工夫”って、案外バカにならない。
むしろ、その積み重ねが暮らしの快適さを決めてるんですよね。
素材がもつ表現の力
改めて感じるのは、タイルって“人の手の余白”がある素材だなってことです。
木や石のように自然の姿を活かすというより、
土を焼いて、形を整えて、人がつくり出すもの。
だからこそ、デザインの自由度が高いし、遊び心も出しやすい。
それに、光との相性も抜群。
昼と夜で表情を変えて、照明の角度でも印象が違う。
同じ場所に貼られているのに、日によって違う顔を見せてくれるんですよね。
「暮らしの中にちょっとアートを取り入れたい」なんて思ったら、
絵を飾るより、壁の一角にタイルを貼るのもアリだなと思います。
そのほうが自然で、日常に溶け込みやすい。
アートと生活の間をゆるやかに繋いでくれるような気がします。
タイルは日常の中の“芸術”
「糸車の幻想」を見てからというもの、
家のキッチンや洗面を眺めるたびに、
なんとなく“作品”みたいに見えるようになっちゃいました。
今までただの仕上げ材だと思っていたタイルが、
小さなアートピースの集まりに見える。
そう考えると、日常の中にある“美しさ”って、案外そこらじゅうにあるんですよね。
特別な場所じゃなくても、見方ひとつで変わる。
デザインって、何かを足すことじゃなくて、
“どう見るか”なんだろうなと思います。
今日も洗面のタイルを眺めながら、
「この目地のズレ、ちょっと愛しいな…」なんて思ってしまう自分に、
少し笑ってしまいました。
暮らしの中のアートって、
案外そんなところにあるのかもしれませんね。