このところ、ずっと思っていた違和感の訳がわかった。
経験値から人を判断してはいけない、と思いつつも
これ以上、痛い目に遭いたくないと思う気持ちが勝ってしまう。
かつて、工務店は「請負業だ」とおっしゃる2人に出会ったことがある。
一人の方は、「請けて負けるのが工務店」と言い切った。
もう一方も、かなり偉い先生で「人」の痛みが全く分からない方でした。
そして、私の人生で3人目の輩が現れた。
かつての苦い出来事を思い出したよ~。
彼らに共通するのは、育ちの違う人を「低レベル」と判断すること。
平気で、人の話すことをレベルの低い話と言い切る。
自分でもわからないまま、「偉い先生」の雰囲気をプンプン匂わす。
また、それに気づかない。
自分の価値観・ルールと違う人を知らず知らずのうちに、
心のどかかで蔑んでいて、自分と違う「人」の価値を認めない。
そして、頭の良さを前面に出して自分の有利な方に導こうとする。
だから、その人の話を聞いても、嘘っぽくて「信用できない。」
彼は云う。コミュニケーションだと、
ならば、なぜ今までコミュニケーションをとろうとしなかったのだ。
4回のメールだけのコミュニケーションなら、まったくもって間違いだとおもう。
メールはそのためのツールの1つでしかないのではないか?
初めて会って契約って・・・恐ろしくないか?
三者は対等ではないと云う。
当たり前だ、それぞれに仕事や立場が違うし、責任も違う。
そんなことは重々承知だ。
私がそれを、あえて言うのは何故だと思わないのか?
三者がある意味同じ目的をもって存在するのだから、
自由な意見を・姿勢を言っても良いのではないか。
私は三者のうち誰か一人が強くなってしまったら、
目的を果たすための目標が違うものになり、
さらに目的を達成できないとおもう。
同じ目的があるのだから、お互い智慧を出し合うのはいけないことなのか?
いいものを創るために「三位一体」とならなければと思う。
つまり、それは三者が心をあわせること。
心をあわせるとは、馴れ合いになることではなく
心をひとつにして同じ目的に向かうこと。
立場は違えど、対等でないと三位一体になれませんよ。
こう思うことは、上から目線なのか?
時として、思いが強すぎると「ややこしや~」になってしまうんですね。・・・・反省。
だらだら書いてしまったが、
もちろん、そういう私は完璧ではない。
むしろ同じことを何度もやらかしてしまう、ダメ人間に近い。
だから、同じダメ人間の気持ちはわかる。
知らず知らずに完璧人間をかもしだす人に、その気持ちはわからないだろう。
彼は云う。
林さんは、まっすぐで直球勝負だ。
それって、デリカシーがないってことか?
もし、そういうことであれば・・・・・
納得です。
百術不如一誠
社長ブログ